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『四十七人の刺客』(池宮彰一郎)

 九人なら野球チーム。十一人ならサッカー。十三人ならモーニング娘。四十七人なら赤穂浪士です。 モーニング娘が四十七人だったらやだな。
 元禄十五年(一七〇二年)十月二十二日。初冬の冷たい風の中、大石内蔵助の一行は鎌倉に入った。 一年八ヶ月の長きにわたって、虚々実々の謀攻をほどこし、いま漸く討入の機を迎えようとしているのだ。 謀計、策略、韜晦。人知を尽くした闘いの果て。その最期の時が近づいていた──。
 そんなわけで忠臣蔵のお話。忠臣蔵というと、 「浅野内匠頭あさのたくみのかみ」 「吉良上野介きらこうずけのすけ」 「松の廊下」 「大石内蔵助おおいしくらのすけ」 「殿中でござる~!」 といった断片的なキーワードしか知らないという恥ずかしい状態で今まで生きてきてしまったのですが、 読んでみたら面白いっすよこれ。
 たとえ忠臣蔵の顛末を仔細に知ってる人でも、 討ち入りに至る間での経緯や、大石内蔵助の考え方、侍としての覚悟と生き様、 そこに惹きこまれるんじゃないかと思います。
「美しく生き死ぬことは、人の世を美しくする……それが、人の規範となる侍の道だ……」
 美しく生き死ぬこと──それが敵討ちだとは思わないけれど、もし自分の生き方が少しでも、 ほんのわずかでも誰かに影響を与えることがあるのなら、 それがたとえ見栄に過ぎないのであっても意味があることなんだという考え方には共感できます。
 難しい漢字がルビなしで出てくるので、ちょっと読みづらいかも。 その辺をフィーリングで乗りきっちゃう人(ぼくです)、辞書調べるのが苦にならない人、 クラスの漢字博士な人は読んでみてもよろしいんじゃないでしょうか。
 以下ネタバレ。
 大石、かっちょいいんだけど女に手を出しすぎです。おかるちゃんにまで!
「わしは悪人だ。真底そう思う」
 わしもそう思う。

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